豊國廟
最初の訪廟はもう2年前です。
東7条で妻と離れて一人で参拝。当時桜井さんの著書を読み絶対に訪れなければと思った場所。
バスを降りそこから坂道が続きます。
参道として綺麗に整備されてるのかと思いきや!突如駐車場に。参道に内に駐車場や別の神社にするかな?
何故か一度途切れてしまうのです。
そこは日吉神宮脇の駐車場になります。後に理由を知りましたがとても違和感を感じたのを覚えてます。
構わず前進し
女子大の間を突っ切ると最初の大鳥居が
現れます
テテテッと階段を登り
左手に豊国神社の社務所。
晩の台風の影響で木々が散乱してると
教えて頂きました。後方右側の大手水は空。
400年前は相当大きな社殿があったのだろう。
門を通過して
一礼して階段を登ります。上から一人女性が降りて来た。私の後ろは外国人の方。外国人の方は登らずに去ったよう。
小さな蝶々 黄色い蝶、 階段を登り始めてすぐ何処からともなくやって来ました。
歩みを止めて周りを眺めたり。
登りながら心中にて自己紹介など。
ここに至るまで何故豊国廟を知ったか?
自分がどんな生活をしているとか?他愛もない事ばかり思い浮かべる
蝶は数段先に留まり、登ると数段先に
留まりゆっくり羽を広げて待っていてくれた。不思議と足取りは軽く思いの外苦ではない。
サクサクと登れる。
山門まではあっという間だった。
日当たりのせい?
中腹の山門辺りから空気が重くなる。
先程までと違なる空気が辺りに溢れてる。
此処は想像を超えたとても寂しい地だなと
ここで思った。
山門を超えて更に階段は続く
あの先にも未だ階段なんだろうか?
ふと思った。不思議とこの後の道中は
一切記憶になく階段が突然終わった
ようやく御廟に辿り着いた瞬間に
口をついて出た言葉
「長いことかかりましたぁ!
漸く来れました 殿下」
「んんちょっと待って殿下?」
「なにソレ」
「誰?私?」
何故か秀吉さんではなく、
豊臣さんでもなく秀吉公でもなく、藤吉郎さんでもなく殿下だった。
不思議とそれが自分にぴたりと
当てはまった様な言い方だった。
その早朝方抜けた台風の余波で相当
蒸し暑かったのだが、
御廟の前に着くととりわけ涼しい風
が終事吹き続け暑い私の体を冷やして
くれた。
まるで労ってくれてるかのなんとも
優しく涼しい風だった。ありがたい。
地元の手土産を持ってきたかったがウッカリ。
坂途中の自販機で謎に真夏に売っていた
開けたらドロドロで微妙。
「、、全く、、」
と呆れられ苦笑いされた気分。でも
その感覚がなぜか懐かしく思えたのです。
そもそもお墓参りした先で自分の祖父や祖母と墓前で話すことはありません。
仏壇でもただ安らかにと願うのみ。
何故こんなに話したか?感覚的には心が勝手に話していたのを私は黙って聞いてる様な。
だから何を話したかとは
覚えてない。
御廟では綺麗な蝶や虫が舞い、誰かの取り付けた風鈴の音が時折鳴る。塔の前に戻ると涼しい風が絶え間なく吹いてました。
小一時間程滞在しまた来ることを約束し、僕は目を瞑り右手を出しました。
台風一過の真夏日でしたが
差し出した手がほんのり暖かだった気がしました。
京都に縁も所縁もない私がココを訪れなくてはいけないと思った理由を理解するに至りませんでしたまたきっと京都に来た時は必ず訪れるでしょう。
次回は殿下と一献申し上げたいと
約束して来ました。
#関西の神社 #豊國廟